格闘美

2022年5月29日日曜日

ビューティー よしなしごと 知らんがな案件

 今回も、
「それがどうした知らんがな」案件で失礼致します。

なんだかマスクを外すとか外さないとか言ってますね。

マスクを外すことで
なんか恥ずかしい気持ちになる、というのは分からなくもないのですが
「メイクをしなくてはならない」といってる人が多いのは分からない
、というか、そうだったのね!という驚き。

マスク生活、先が見えないねってなったあたりで
国内ドメブラを筆頭に
ファンデーションがリニューアルされ
「マスクにつきにくい」ものが主流になりました。
その発売の速さには、驚きました。
すごいね、日本て。

メイクするよ
でもマスクについちゃうよ困ったよ

マスクにつかないファンデーション
作ったよ byメーカー
キタコレ買うよ
売れる

の図式があり、需要がそれほどにあるのだと思っていたので、
マスク=ノーメイクでいける人々が
こんなに世の中にはいたのか!とあらためて驚いています。
うらやましい。

わたしは最大時、週4日在宅勤務のときも、WEB会議がないときも
もちろんマスクで外出する時も、
フルメイクしてましたね・・・
むしろ、マスクで眉と目しか出ないので、
アイメイクに注力するようになった結果、
鬼のように

アイシャドウ
アイライナー
マスカラ

の類が増えた者です。

全部ではありません…


別に意識が高いわけでは全くなくて
メイクもスキンケアもわたしの大事な娯楽だからです。
するなといわれると逆に楽しみを取り上げられることになる。

娯楽ではありますが、とはいえ、気楽にやっているのかというと
これも違う。

わたしがスキンケア・メイクになにを求めて、
こんなにも金と時間と精神を捧げているのか。
一言でいってしまえば
「普通」の状態を作りたいから。

ここでいう「普通」とは、

・身だしなみが整っていること
 身だしなみの定義@自分 とは




・自分が好ましく思う服装などをしたときに
  トーンが不協和音を奏でていないこと
・トーンとは、つまり、その個体の可視範囲の面積の、影と光の量、なのではないかと思う
プラス
・上記の状態であると心が落ち着く
・余計な自虐をしなくてもいい
・ニュートラルな状態でいられる
効用があります。

若作り、ということではないのです。
若く見せたいという訳でもない。
いや、正直に言うと若く見てもらえたら
もちろん嬉しいですがそれはおいておいて。
そこに血眼になっている訳ではない。
(血眼になっていても別にいいとは思う)

若い時は、その時はわからないのですが
なにもせずとも、清潔さえ保たれていれば
この「普通」の状態であるため、
スキンケア・メイク、特にメイクはプラスに向ける・「盛る」作業となっていました。
今もそうでしょうけど、厳然たる容姿ヒエラルキーというものがあり
上層にいないということは、人間関係の不利益や、時として理不尽を受容せざるを得ないということでもありました。
わたしは小物なので、そのヒエラルキーの少しでも上にいきたい、と何度思ったかしれません。
一度でいいから、君臨して睥睨したい。
それができればどんなに人生幸せだろうか、と。
ですから「盛る」作業は、ある種、闘いでもあったのでした。
もちろんどんなに盛ったところで層が変わるほどの向上はなかった訳なのですが。

それからn十年たった、今。

何もしない状態では、まず健康状態を心配されることになるため、最低限、社会生活が円滑に営める状態までもっていかなくてはなりません。
ここまでが、スキンケア・ヘアケア でしょうかね。
長い時間と課金により、多分ファンデーションは塗らなくても、病人に見えることはなくなったはずです。(エッヘン)
(ですが、全く無加工でいいわけはない)
ここから、上述の「普通」の状態にもっていくまで、さまざまなメイクの工程を行うのです。
影と光の状態を整える作業ですね。
わたしにとっては、メイクは絵画であり彫刻です。すべての作業には目的があります。
めんどくさいとか、ジェンダー論がどうとか、
そんな次元からは100万光年くらい離れていると思います。
ALL自分のため、自分との対話(たいそうな)
いや、自分との組手かもしれない、と思うときもあります。

1mm幅の線のために超ミクロで見る箇所と、
どこに影が出ていてそれをどうしたいかを考えるマクロの箇所。
老いという、そうあってほしくないけど
確実に訪れている現実を冷徹に見つめ
足して足して隠したいという気持ちをおさえて
「何をしないか」を選択して
どんどんビシビシ捨てていく判断。

「引く」ことができるように「足していく」。
ただし、勇気と冷徹さと美意識を持って。

なんだか禅問答のような話になって、
いったいコイツは何を言っているのか
さっぱりわからん、という声が聞こえてくるようですが、まことに申し訳ございません。

リアルわたしをご存じの方は
たいそーに言いやがって、
ここまでやっていてもあの程度かい!と、
全力で突っ込む裏拳を
必死で押さえておられると思いますが、
そうその通り。

あの程度なのです。

ですが、その「あの程度」であることを自分で受容し
それでもたまには、新しい服が嬉しいとか
今日は髪型がうまくいったわね、とかの
小さい喜びを味わうためには
「あの程度」を維持していたいと思うので、

己を律し(楽観に流れないように)
挑戦を忘れずに
(情報は常にアップデートする)
己を見つめて見つめて
(つらくても現実を正確に把握する)
鍛錬を怠らない。
(低下すると修復が大変・・・)

うむ。
これはもう、密かな格闘技なのではなかろうか。


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