うれしいたのしいだいすき

2022年5月23日月曜日

メンタル よしなしごと 知らんがな案件

 辛気臭い話をします、ごめんなさい。



何かできごとが起こったときに。
そこの起因であるとか
行間であるとか
そういったものを勝手に妄想せずに、
ただ起こっていることだけをシンプルに受け止める。
そうありたいと、とても強く願っているのに
それだけのことが、わたしには本当に難しい。
できないということが、また、自責につながって、
自責→自虐→妄想→自責・・・
の地獄ループが発生して、そこから出られない。

その他、ひとつひとつは小さい要因が、
多分最悪の絡まり方をして、
人生で初めて
「ひとと話すのが怖い」
という仕儀になったのはコロナ禍が始まったころでした。
いや、本当はもっと前から、少しずつダメになっていたのかもしれません。

かつては、歳の割には、
少しは速く走れていて。
ランニング界隈の中では、その
「歳の割に速く走れている」からこそ、
関心を持って下さったり
関わって下さったり、
お声をかけて下さったりしている訳で
それができなくなった自分など、なんの価値もない。

多分、人に話したら、
「そんなことはない」と言って下さるのが
わかっているけれど、
針の先ほどの言葉やできごとが、全部
自分の妄想を肯定するものに思えてくる。
ほらね?
て声が聞こえてくる。
なによりも自分自身が、自分を気に入らなくてしょうがないから
しょうもない自分を見透かされるに決まっているから
「ひとと話すのが怖い」。
生まれて初めて経験する「心のつらさで体が痛い」状況。

だけど、わたしは、結局。

申し訳ないほど
健康方向に執着があったのだと思います。

少しずつ少しずつ、軸が戻ってきて。
いや、自分のチカラではないのです。

しょうもないことですが、毎回心臓バクバクで送信したツイートにいいねをいただくたびに
まだコミュニティに存在していていいんだな、と安心したり。(中学生か)

声をかけて「会おう」と言って下さったり。
そんな仕儀だったから、普通に会話できてるか
めっちゃ不安だったのですが、
「え、全然ふつう。」とサラっと言ってもらったことが、皮膚1枚の内側では、カオスになっていても、その外側では普通にふるまえているのだ、ということが、どれほど救いになったことか。

気にかけて下さっているんだな、
と伝わってくるできごとも
たくさんありました。

全部全部、とても申し訳なかった。
少し時間がたつと、
とてもとてもありがたく思いました。

初対面のひとともお話できた。
ブログ更新のツイートもしようと思えた。
日常のしょうもないツイートもしたいと思えた。
ひとさまのツイートにリプライしたいと思えた。

ホントどうでもいいことだらけですが
自分の中では、ひとつずつ、小さい決心を乗り越えられた、という達成感があったのでした。

自分の内側では
レースつながり・ランつながりのコミュニティで、多分、レースにタイム狙いで出場するひと
であることを期待されているのに
どうしてもそれをできないことが
とても苦しかった。
けれど、元々、誰もなにも1mmも思っていないことです。

「レース出ないの?」
「速かったのにねえ」

それは、それだけの言葉であって、
行間もなにもない。
ましてや責められてるわけであるはずがない。

トレーニングをしたら、かつては、ジョグペースだった5'30"くらいで息が上がって3kmも持たない。
でも、やっていけば、5'00"で走れるようになる。
ならなくてはならない。

だけど残念だけど、そんなふうにはもうなれない。
なれないけど、もうできない自分を受け入れよう、と思えました。

こんなに遅くでしか走れない、と思うから
見られなかった1kmラップ、またみられるようになりました。
なんていうか、目盛りの位置が変わりました。
目盛りの0位置が。
単位が変わったのかな。
(伝わりますかね?)

キロ7を見ても、キロ8を見ても、
思うことは
「こんなに遅くしか走れない」
じゃなくて、
「じゃあ1時間後には●キロ進めるわけね」
になりました。
1時間動き続けられることには確信があるから。
それは自分で獲得した確信です。
なにがなんだかわからない、ただ焦燥感にかられて、これだけはやめたらだめだ、と思いながら守った月間走行距離(笑)が、長く動く身体だけは、残してくれた。

お手柄だ、自分。





先日、マラニックに参加させてもらいました。
すべてが慕わしくて嬉しかった。

待ち合わせる場所があること。
来るメンツの一人としてカウントされてること。
三々五々集まってきた人たちとしょーもないハナシをすること。
何年あってないのかしら?という人とも、昨日会ったみたいに話ができること。
自分の前を走る人を眺めること。
そこに着いていっていいこと。
走りながらおしゃべりすること。
買い食いして感想を言いあったりすること。

そして、マラニックの企画を決めて実施してくれる人がいること。
そこに参加することを受け入れてもらえること。


そんなオオゲサな、て思われるかもしれないのですが
自分の中では
「戻ってこれた」
「戻ってこれて本当にうれしい」
という気持ちでいっぱいでした。

わたしの中だけのワヤワヤで
周りは、なにも関係ないのです。


レースにいっぱい出る人も、少しだけ出る人も、出ない人も、走ってる人も、走っていない人も。目標を持っている人も、持っていない人も。
今、この界隈で、関わっている方々の
内側の葛藤はわたしにはわからない。
けれど、すべての人を、心から尊敬しています。
そして、思われる到達点に届かれることを
願っています。

わたしはランニングに関しては
なにか刺激になるようなことはもうできませんが、応援し続けることはできるし、したい。

いつかなにかのお役に、立てますように。

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