最強の山城へっぽこ攻め 前編

2021年11月4日木曜日

山歩き 奈良うろうろ

 
ごきげんよう。

アラ、いつの間にやら11月になっていました。
ちょっと前の出来事、と思いきや、9/23、なんとひと月以上前のことですが、楽しいお出かけをしたので、書き残しておこうと思います。

奈良高取町には、人呼んで「最強の山城」という高取城址があります。
9/23秋晴れの祝日、
城攻めにオモムイてみました。

高取城(奈良県高取町)は大和郡山城の支城のひとつで、豊臣秀長の時代には、重臣の脇坂安治や本多利久が城主を務めました。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城や岩村城とともに日本三大山城のひとつに数えられます。現在も石垣や石塁が残され、山城のまま石垣、天守、櫓、門、殿舎まで築かれた例は少なく、山城でありながら小天守まである貴重な城です。

色々ルートはありますが、
今回は、城下町の高取町から、壺阪寺経由で山城をこらしめることにしました。



橿原神宮付近に車を停めて、高取町まで2kmほどポテ走り。

高取町に入ると、町中をまっすぐ道が伸びています。「土佐街道」といいます。



なぜ奈良で土佐なのか、といいますと、

6世紀、大和朝廷の都造営の労役で、土佐国(高知県)からここに召し出された人々が、任務が終わっても帰郷することができず、この地に住み着いたことによります。


…ヒドい。(´;ω;`)


高取町では「かかし祭り」が開催中でした。



…割と大きめね。
そして、けっこーリアルね。





↑どれが本当のおばーさんか、わかりますか?

…アレ…?



ちょっと…コレ、まさか…
ズーム。



このひとは、かかし?
それとも…もしかして…人?
まさかね、と思いながら恐る恐る近づきました。万一マズイ状態なら、救急車を呼ばねば、と手に汗握りながら。

…かかしでした。
よかったけど、よかったけどさぁ。
…もうちょい、こう、紛らわしくない配置をさあ…

一方的にブツクサいいながら、町中をポテ走り、いよいよ山方面へ。

標高584メートルの高取山に築かれた高取城。比高(天守閣と麓の高低差)が390メートルで、比高が日本一。高低差が大きいほど、難攻不落とされています。





はためく幟に高まる胸。心には法螺貝が鳴り響きます。



いったん登山道に入り、壺阪寺へ。



舗装路を上がって行き、
いよいよ本格的に山道へ入ります。



よし!



、にしても荒れ気味の道?
すぐルートがなくなりました。
登山アプリを見るとルート上にいる…
??と思いながら何気なく上を見ると
広い道が通っています。

わー。正規ルートの真下だったか。

ヤマレコマップでよくあるのですが、
緯度経度が同じで、高さが違う場合も、
(例えば高架上の道と高架下の道みたいな
関係の道ね)
地図上ではオンルートで表示されてしまうパターン…
戻るのもイヤだったので垂直の道を、えっちらおっちら、3mほどよじ登って、正規ルートに復帰しました。ふうー。

さすが最強の山城。なかなか手ごわいわね。
(違う)
ちょっと先が思いやられます。


(続きます)


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