夜の葬列

2021年10月18日月曜日

メンタル よしなしごと

 
ダラダラの自分語り記事で
申し訳ないのですが
よろしければどうぞお読み下さい。



先日、夫が大きな花束をもらって帰ってきました。
うちにある花器を総動員して、
小分けして生けて。
しばらくの間、家のあちこちに
お花がある幸せな状態でした。
美しい客人たちの中に、
カサブランカがいました。
ユリの一種ですので、強い甘い香りがします。

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白い豪華なお花ですが、
日に日に強くなってくる香りをかぎながら、
わたしはしんみりと、
違うことを考えていました。



メンタルをやられていたつらかった日々
特に夜がくるのが恐怖でした。
身体が鉛みたいに動かないのに、
アタマだけがすごい勢いで空回りしてザーザー音がする。
と、思えば、スコールみたいに降ってくる強烈な不安感に飛び起きて、居ても立っても居られなくなる。
そのようになるまで知りませんでしたが
肥大した自罰感・不安感は、身体の中を
チリチリ焼くのです。
比喩ではなくて、「痛い」。
眠剤を飲めば寝られるのですが、
どこかで
「寝てる場合か」
「考えなアカンやろ」
と思っており、
ぐっすり寝る=ダメな自分という強迫観念からなかなか逃れられませんでした。

日にち薬が万能薬だとはわかってる、言われなくても。
だけどたった今がツラいのは、一体どうしたらいいのか。
たった今のこの夜を。
夜を、どうしよう。

そんな、ある夏の夜。
いよいよ居ても立ってもいられなくなり、
ライトを持って外に出ました。
無意識のうちにジョグシューズを履いていたので、どんどん歩いていたようでした。
うちは田舎なので、歩くとすぐ、山の中に入ります。山というほどではない、休耕田の中にさしかかったとき、急に、むせかえるほどの
甘い匂いが。え、これはユリ?なんでここに?と思いながら近づいていくと、休耕田の一角に、ピンクのユリが群生していました。

なんでここに…?

夢を見ているみたいな光景ですが、
唐突にわたしの脳裏に浮かんだ言葉は
「葬列」でした。
甘い香りをまとった美しい女たちが、下をむいて並んで。
亡き人を見送っている、葬列。
縁起でもないのですが、そのイメージが頭から離れなくなりました。

翌日、またその翌日も。
そのユリを見に行きました。
キレイな月明かりの下、静かに佇む喪の列。
ユリを切って貰おうかとも考えましたが
できませんでした。

さらに数日。
ユリは、全て刈り取られていました。
甘い香りだけがわずかに残っていました。

ただそれだけの話です。
花に慰められた、という感覚はありませんでした。だけど、身体を動かして見たいものを見に行った、という行為は、確かに夜を楽にしてくれました。
それ以来、ユリのイメージは「喪の花」。

今、わたしは、
ひととお話しすることも
ひとに話しかけることも
楽しいと思えるようになりました。
夜寝るからダメな自分、とは
全く思わなくもなりました。
だけど、ユリ=喪の花は、ずっと上書きされずにいます。
月明かりの下、花を葬列に見立ててぼんやり眺めていた、ズタボロにヨボけた自分こそを、
弔ってやりたいような気がするのです。

よく、帰ってきた。
よく、頑張った。

何を努力した訳でもないのですが、
自分の中でだけですが、そんなふうに
思ったりしています。

いただいたカサブランカ。
最後の一日。








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