文字がそこへ連れて行く

2020年12月29日火曜日

メンタル よもやま話 書くこと 知らんがな案件

 
わたしは立派な
「インターネッツ老人会」なので、
個人がホームページに日記を書いていた時代を
知っています。
やがて個人の日記は、ブログが主流になり、
また時が流れて、
今や、「ブログ」でチョロっと検索すると
アフェリエイトや、いかにして稼ぐかといった記事が上位に上がるようになり
非営利・無広告の、雑記的なブログ、つまり当ブログのようなカテゴリのハッキリしないブログは、もはや時代遅れになってしまったのかな…と思ったりします。

かつてマラソンカテだった時は
練習内容やタイムを書けば、どなたかの役にはたつのかもしれない、と思えていたものですが、今は、多分どなたのお役にも立ってないだろうな、そりゃ辺境にもなるわ、と妙に納得してみたり。

でもハッキリしていることがひとつあって。

わたしの役にだけは、立っている。
立っている、と、思う。


年の瀬に長い自分語りをさせていただき恐縮ですが、お時間のある方は、チラ見していただき、そしてサラッと流していただければと思います。


夏前くらい、とある出来事。
うーん、どう言えばいいかな、
「実像と齟齬があるのでは、
 という印象を与える
 自己表現をしている人」。
まあ早いハナシ
「アナタの自己表現は、イタい」
という評価を頂戴しまして。
それに脳天をカチ割られた、んですね。

言った人がどうこうより、
刺さったということは、痛いところを突かれたと自分が思っていた、ということ。
それまで、メンタルがしんどい時もそりゃあったけど、なにが噴出したのか知らないけど、
なんかもう、思ってもみなかった方向に行きました。

わたしは元々、自罰感が強い方ですが、
コントロールできない、強烈な自罰感と
いてもたってもいられない不安感。
メンタルの不調はメンタルにだけ影響するのかと思っていましたが、不定期に突然降ってくるそれらは、肉体的な苦痛だけを与えて、むしろ、思考力を奪います。

誰かに相談する、とか、話を聞いてほしい、
とか思う以前に、
「非常に辛い状態であるが、もはや、
 具体的になにを相談していいか分からない」
のでした。
(だから夫にも言えませんでした)

段々、ひとに話をするのに、とてもチカラがいるようになりました。
怖い、というのとは違っていて、
どういうんだろう、
自分が発しているこの言葉が、どう受け止められるんだろうか、合ってますか?怒ってませんか?ヘンに思ってませんか?
チラッチラッ
…という感じ。
ひとの話を聞くのは全く大丈夫、
聞かれたことに答えるのも大丈夫でした。

幸か不幸か、在宅ワークは週3ペースで続いていたので、仕事と家事はギリギリ最低限は、
できていた、と思います。
どちらも、聞かれたことにだけ答えていれば
8割5分はまわっていくので。
(わたしの場合)

そんな中、じぶんが話す内容を、文字にして書いてみると、とても落ち着きました。
何回も何回も読み返して、他人の目になって。
あ、ここは余計だな、とか削っていったり。
こんな風に話せば大丈夫、と思えると
安心するのです。
実際に発話することはなくても。

だから更新回数は少ないながら、
ビクビクしながらも
ブログは書き続けました。

勝手な解釈ですが、
ブログという場所は、パブリックにほんの少しだけ空けてもらった、わたしのお庭。
ここで「わたし自身」がウロウロするのは
「痛い自己表現」かもしれないけど
「わたしが考えたこと」を、ただ、置いとくのは許されるのではないか、と思っていました。
(↑伝わるといいのですが)
ここではネガになってないみたいに振舞える。そう思えるのも、また、救いでした。

そんな中、身内関連の、
削られる出来事を経たためか、
さらに状態が悪化した感が。
「自分がいることが現実であるか実感できない」感覚が加わり、コレはマズいかも、と危機感がわきました。
医者にも行きましたが、
眠剤が処方されるだけ。
「肉体を疲労させれば感覚が戻るのでは」
と考えて、で、何を思ったか、
未完に終わっていた、
ダイトレ全縦走に挑戦しました。
コレをやれないとなにかが終わる、
という強迫観念に駆られていたため
必死でしたし、限りなく怖かった。

ですが、真夏のロングトレイル、
暑い。
脚はめっちゃ痛い。
息は上がる。
つらい、しんどい、もうやめたい。
思うたびに、
「よかった、ここにいる…」
とも思えていました。

どうにかこうにかゴール地点に着いた時。
完踏した、やった!という感激は一切なくて
ただ、やらなくてはと追い立てられていたことを辛くもやれた、首の皮一枚でつながった、というのが正直な感想でした。

一応、この行程は書き残しておこうと、
何本かダイトレ関連で記事を書きました。
二本目以降は、
「所感を入れたら、
 また痛い自己表現って思われる」
「事実関連だけを淡々と書かなくては」
という呪いみたいな気持ちに囚われて、
いらん苦労をしながら書き終えて。
公開する意味あるんだろうか、と、
これもまたワケのわからん
心配をしていましたが、
ダイトレという地域限定の誰得記事で
閲覧数は少ないながらも、見ていただけて、
書くことへの、おっかなびっくり感は
だんだん消えていきました。

自分ではあまり変化は感じてませんでしたが、
底を打った、というかすかな感覚も
ありました。

9月に入って、熊野古道伊勢路に行き、
道中を楽しいなと思えたとき。
景色をキレイだと思えたとき。
「次行く所」を楽しく考えられたとき。
それが、自分にとって、どんなに安堵することであったか。


渦中にあるとき、
とにかく活字を見ていたら安心だったので
過去の自分のブログも見ていました。
なんの悩みもなさそうな、
思い通りに走れていた頃の自分。
妬ましかったし、薄い憎しみすら抱きました。
故障を境にだんだん走れなくなって、
でもきっと復帰してみせると思っていた頃、
こんなことを書いてました。
(2019年1月)



2019 年始めの自分。
アンタはそこからもっと走れなくなるよ。
できなくなることは、
もっともっと増えるから。

世の中は思いもかけないことになって、
あるのが当たり前、星の数ほどあって、
選ぶのはこちらだ、と思っていたレースは
どれも開催すらされなくなるよ。

だけども。

書いといて、実は、
ダイトレを全縦走することも
熊野古道伊勢路を行くことも、
自分比では冒険だし、
行きたいけどきっと実現できずに
終わるんだろうな、て、
どっかで、思ってるよね?

それね、やり遂げるから。

楽しい気持ちの中ではないけど、
泥水の中みたいな気持ちでだけど、
ヨロヨロのヘロヘロのドスドスでも
アンタは、縋るような気持ちで
どうにか走っていて、
それをやり遂げて、
書いといてよかった、て思うから。



夏の始まりには、同じ年の瀬に、
こんなふうにブログに、
一連の自分に起こったことを
書けるようになるとは思っていなかった。
急に全快する訳ではないんだろうけど、
訳がわからない状態からは、ぬけた、と思えています。
初めての経験で正直とてもキツかったけど
軽い部類の症状であったおかげもあるだろうし
時間経過のおかげもあるでしょう。

ですが、それに加えて、書く、という場があり、
また、どんな風にかはわからねど
読んで下さった方々がいらっしゃる、
ということは、とても大きかったと
思います。

文字が、ここまで連れてきてくれた。

そして。

お気遣いのご連絡をいただいたり、
Twitterで呟きを目に止めていただいたり。
そんな大げさな、と引かれるといけないのですが、とてもとても嬉しかったし、
心からありがたく思いました。

気のきいた言葉を探そうと思うのですが、
やっぱり、他にないや。

本当にありがとうございました。

お陰様で、と言われても、お世話になった皆様におかれましては、ホンマに「知らんがな」であろうと思いますので、
本当に恐縮なんですが、
お陰様で、やっと、ここまで来れました。


最初の話に戻りますが。
雑記ブログはオワコンかもしれなくて、
誰もちゃんと読んでくれなくなるかもしれなくて。
そんなふうに思う時、ここを見に行きます。
本当に読みたいことを書けばいい?

そして、

あー。ナンギやけど、やっぱり、書きたくなってしまうんやろなあ、ヘタクソなりに。
業が深いなあ。

と思うのです。

長い記事、お読みいただき
ありがとうございました。
更新頻度も低く、ホンマに役には立たないブログですが、お気が向いた時に覗いていただき、もしも、おヒマならば、お付き合いいただけましたら、こんなに嬉しいことはありません。


※タイトルは、
田中泰延さんの
「読みたいことを、書けばいい。」
の中から拝借しました。




































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