赤・黄・青ライン

2020年5月10日日曜日

よしなしごと


今、縄跳び2重跳びはトレンド、
なのでしょうかね?
ネットでも、動画でも、近所でも。
あちこちで老若男女がチャレンジしてるのを
お見かけします。

わたしにとって2重跳びは、
「試験科目」。
それも高校三年の3学期の
できごとでした。
ナンジャソラ?と思われますよね。

わたしの母校は、イナカに所在する
のんきな公立高校でしたが、この学校、
こと体育に関しては、大変に変わった学校だったのです。
わたしの実兄も同じ高校の卒業生でした。
(学年重ならず)
ですので、覚悟しとけよとは
言われてたのですが…

最初の一発は、入学して初めての体育の授業に喰らいます。
始業の鐘がなって、グラウンドに三々五々
集まってきた学生に、
「制服に着替え直して再集合!」の
怒声が飛びました。
 体操服→制服 集合
 制服→体操服 集合
これを迅速にできるようになるまで
数回繰り返して、最初の授業は
終わりました。
いわく、始業の数分前にはグラウンドに整列し、始業の鐘と同時にアップのランニングを
始めること。
体育教師は揃って迫力満点だったので
誰一人逆らう者もおらず、
全校生徒、この習慣は、卒業するまで
続きます。(体育のみね)

やがて迎える、1学期の中間テスト。
試験は「ラジオ体操第一」。
は?と思われますよね。
実は、ここまで体育の時間は、
ランニング
サーキットトレーニング
正しいラジオ体操第一
を延々やっていたのでした。
ラジオ体操は、



と、いうふうに正しいフォームがあるので
そのポイントを抑えつつ、
一人ずつ、ノーミュージックで
やるのです、先生の前で。
それが試験でした。

インパクトが強烈すぎて、
今でもラジオ体操するとき、
手を上に上げる動作は
「耳のすぐ横を通る!」
「指先揃える!」と思います。

夏本番になって水泳が始まっても。
体操服の下に水着を着たまま、
ランニング、サーキットをやり、
その後ガッツリ水泳をします。
2年の夏は、バレーボールの試合後、
水泳をやりましたっけね…

当然、体育の後はクタクタ。
その後の授業の居眠り率は飛躍的に
向上します。

クーラーなど教室にない時代、
全開の窓から入る、極楽の風。
窓際の席の、居眠ってる男の子の
くしゃくしゃの天パの髪の毛。
もじゃるアタマを撫でるみたいに、
寄せては返して大きく揺れる
教室の白いカーテンを
キレイだな、と思ったことを覚えています。

ハードルや、ハイジャンプの授業は
多分どこの学校でもやると思うのですが、
母校が変わっているなと思うのは、
それぞれを、できるだけ本格的な形に
近いかたちでできるようにすること。

ハードルは、素人は、ぴょん・ぴょん
としか跳べないものですが、
それを、こういう風に


ムダなく跳んでいけるように
練習させられました。
タイムとかは関係なく、
カタチを繰り返し練習します。
当然ガンガン膝を打つのですが、
ビビってる場合ではありませんでした。
ゴム飛びゴムで練習したり、
友達とチェックし合ったり。

ハイジャンプは、最初から
背面踏み切りで練習させられました。
バーはめちゃ低くても、後ろに倒れるのは
怖くて、遥かに前で踏み切りすぎて
マットの上に落ちれなかったりして
傷だらけでした。

体操服には学年ごとに、
違う色のラインが入っていて、
わたしの学年は赤。
一年上が黄色、二年上が青でした。
黄色ラインの人たちが、
ハードルを必死で跳んでいれば、
それは一年後の、自分たちの姿でしたし、
青色ラインの人たちが
皆、それなりの形で背面飛びを
次つぎ決めていれば、
それは二年後に自分たちが
できていなければいけないレベルである、
と自然に理解していました。

体育の先生はみな怖かった。
でも、
失敗しても、うまくいかなくても
結局、最後までできるようにならなくても
それは怒られませんでした。
ただ、できそうにないから、最初からやらないということは許されなかったし、
投げやりに取り組むことはめちゃくちゃ
怒られました。
運動嫌いな子もいたし、
強制されるのが嫌いって子もいたと思います。
でも、みんな、傷だらけになりながら
黙々と練習してました。

思い返すと、
タイムを競う、とか、できた順位を競うとか。
根性を出せと言われるとか。
そういったことは一切なかった。
ただ、
「自分が今やるべき動作と到達点」を
理解して、やれ。
できないのが嫌なら、
できるようになればいい。
できないなら繰り返して、やる。
ただし、工夫はしろ。
「なりの努力」をしろ。
そう言われていたと思います。

今、まがりなりにもランニングを
やっているわけですが、
基本理念に、この時の教えが礎となっている、
と気がついて、
自分でもびっくりします。

さて、学年が進み、
青、黄色ラインは皆下級生になった、冬。
体育はなぜか、縄跳びをやっていました。

2重飛び、後ろ2重飛び、
そして、「マリーナ」と呼んでいた謎種目。
アレなんだったのかなーと思って、 検索してみたら、なんと、ありました!!
リズム縄跳びの技の一種で、
「かえし跳び」というそうです。
本来、足は動かさないもののようですが
わたしたちは足を横に蹴る動作付きを
要求されました…

参考動画
(ここまで派手な脚さばきじゃないけど
 動き自体は同じだ!)

一体に、なぜ高校3年で縄跳びか、
なんですが、もう理由なんてありません。
できるまでやるだけです。
例え、受験生であっても。

前の2重跳びはできるのですが、
後ろの2重跳びと、後ろマリーナができない。
冬休みの間、家で練習しました。
寒い季節って、縄が身体にビシッと
当たると泣くほど痛い。
昼間は恥ずかしくてできないので、
夜になってからやりました。

お付き合いしていた同じクラスの
男の子からの電話に出なかったため
(黒電話の家の電話ですよ、もちろん)
「縄跳びを優先するなんて!」と
ヘソを曲げられて、
「これができるようになったら
 大学にも受かるような気がする」
と必死で言い訳したこと。

静かな住宅街に縄の風を切る音が
よく響いて、その音のリズムで
だんだんコツをつかんでいったこと。

後ろマリーナができるようになった時
嬉しくてカレに電話したものの
迷惑がられて、しょんぼりしたこと。
(子供ですな…)

2重跳びをトリガーに、
そんなことどもを、
走馬灯のように思い出した次第です。

肝心の縄跳び試験の結果は、
あんまり覚えてないのですが、
後ろ2重跳びは3回くらいしか
できなかったような気が。
あ、第一志望の大学には受かりました。

高校の情報を投稿とともに見られるサイトを
教えてもらって、見た限り
今、あの頃の「理不尽体育」は
なくなったようです。
同じ高校の卒業生なら、
自分の卒業年の前後10年くらいは、
必ず、
「体(育)教(師)誰やった?」で
ハナシが盛り上がるものでしたが
そりゃあそうか。
今、アレをやったら新聞沙汰でしょうし。

でも校風というのか、
体育以外は、のんびりした学生が多かった
雰囲気はあまり変わっていないようで
「学食がおいしいらしいので入学しました!」
の声が多いのも、笑ってしまいましたし、
楽しい高校生活だった、という声にも
なんか安心したりしました。

わたし自身は、教育実習で行ってから
n十年、校内には入ってませんし、
同窓会にも、足を運んだことがないし、
高校時代の友達と会うこともないから
高校生活の思い出は、色が変わり
風化寸前ですが、それはそれでヨシ。

なにかをきっかけに、
こうやって思い出して、
グダグダ、書くことができる、
そういう保存の仕方もある、ということで。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。


校歌。
今も歌えました。ビックリだ。


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