中学生メンタルの成人 2

2020年1月17日金曜日

へっぽこ考察 よしなしごと

まず、エクスキューズ。
これから自分のマイナス面を
色々ご披露しますが、
自罰でも自虐でもなく、ただ事実を
見つめるとこうだった、という事です。
痛々しくお見苦しい記述が出てきますが
何卒ご容赦いただきたく存じます。
また、自分の考えを書いていますが、
すべて、「自分は」の場合。
他の方が同じ状況下の時、
自分の考えをそのまま当てはめて
「あの人はこうなのね〜」と
思ったことはありませんし、
これからもありません。
せっかくお読みいただいてる方、
どなたにもご不快な思いを
されることのないよう願っております。

エクスキューズ長い。

失礼しました。
では、始めます。

スランプは、自分で掲げた目標が中々達成できなかったり、
物事が自分の思い描いていた通りに
いかなかった時に陥りやすくなります。

目標は達成できたか

フル

PB更新
 →そのペースで練習を続ける
  ことすらできなくなって
  チャレンジもできなかった。

(下方修正して)

200分切り(故障前の状態)
→そのペースで練習を続けていたら
 故障傾向に。
 そのままレースに出るも、
 悪化してDNF。
 
(目標迷走)

サブ4
→こんなにしんどいか!!ていうほど
 しんどい思いをするもできず。
 次のレースで達成するが、
 思った以上にキツかった。
 故障明けでも、もっと余裕があったのに。

ウルトラ

・100km完走
→達成

トレイル

走りたいレースの出走資格を得るため
 指定レースを3本完走したい。

→2本DNF

思う通りに進んでいるか

多分ここが、一番の負の巣窟。

「目標を大きく持つ」ということが
性格的にできないため、
目標=実現可能な範囲。
なので、
目標が未達成だということについて、
未達成そのものよりも、
高すぎる目標をたてた=身の程知らず
という感覚が抜けない。
「自分を過大評価している」という
恥ずかしさがこたえる。

また、未達成の経緯も、
「やるだけやったが届かなかった」
ものではなくて
「チャレンジもできなかった」
「現状維持もできなかった」
という有様が余計に情けない。

できるんじゃなかったの?
なんでできると思ったんだろう…

つまり、
「一番いい時の自分」に固執して
そこに戻れないという現実を
結局、受け入れられていない。

更に、そこに戻るために、
自分が「やらねばならぬ」
と思い込んでいる練習、
・負荷を強くかけて耐性をつけていく
というやり方をやろうとすると、
故障する、体調不良になる
ので進まない。
今までのやり方ができなくなって
動揺している。

とはいえ、練習自体は
してない訳ではないので
結果が出ないとき、いつも、
「練習してたのに」という
筋違いの裏切られた感で、
余計につらくなっている。

が。

ある一定のレベルになるまでは「決められた練習」をこなしているだけでも結果につなげることができるが、
しかしある程度のレベルや年齢に達すると「得意なこと」と「苦手なこと」、「好きな練習」と「苦痛な練習」に合わせて、身体的な特徴などから「するべき課題」を避けてしまったり「苦痛で地道な努力」ができなくなってしまうことがあります。
そして、とりあえず「何らかの練習」をやっておけば、努力を怠っていない気になったり、練習をちゃんとやっている気になります。

…ぐふっ…。(吐血)
思い当たることがたくさんあります…

スランプに対して「乗り越えなければ」と考えるとさらに自分を苦しめてしまいます。そこは思考を変えて、「次の扉を開くときがきた」と考え、脳がネガティブにならないことが大切です。

「次の扉」…!
先行きのある青少年にふさわしい
希望あふれる言葉ですね!
でも、…んー。
ちょっと自分にはしっくりこないかな。
(先行きの長さが、
 中学生とは違うからね…)
言い換えてみましょう。

「違う扉を開けてみる時が来た」。

一度、全部手放してみる時が来た。

願った通りにコトが進む
気持ちよさの記憶も。

結果が得られていたから、
正しいと思っていた
アプローチの方法も。

目標を定めて、そこに到達するために
頑張るという方向性、そのものも。

ここまでできるだろうと思っていたことが
できなかった。
どこまでできるかわからない。
許されるのは、どこまでの望みなのか。

わからない、その状態自体が、
自分を落ち着かなく
不安な気持ちにさせているのだから、
今は、
「ここまでならできる、その最高地点」
を探すのが最優先だと感じます。
土台を固めないとグラグラして危ない。

特に、練習のやり方の意識は
大きく変える必要があります。

今までは、大雑把にいうと、

目標タイム/距離=目標ペース

その目標ペースで走れる距離を
伸ばしていくやり方をしていました。
今、そのやり方をすると、
自分にはオーバーペースになって
距離が伸ばせていない。
いきおい、
短い距離×速いペースの練習ばっかり
増えて
(←できる事ばかりやろうとする)
距離は短くとも強度はそれなりだから、
疲労はたまっていく。
なのに、そのペースで走れる距離が
勝手に伸びる訳はないので、
成果はイマイチ。
でも、自分はすごく、
やった気になっている。

「ただ安心したいための練習に
なっていないか。」

「しんどいことを我慢すれば
願いは叶うていう、お百度参り的な
練習になっていないか。」

これらを見直す必要があります。
やりたいなら、
ココロの安定のためにやってもいいけど、
その後疲労を抜くために必ず休むこと。
故障も体調不良も大半、疲労から。
ここは老化とは縁のない中学生とは
大きく違うところですね…

今、ペースを決めるなら
目標タイム/距離 では決めちゃダメ。
知るべきは
「その距離を走り通せるペース」、
つまり、
力の総量/距離=ペース。
更に、「力の総量」の判断は慎重にする。
「希望」と混同しない。

タイムが大幅に落ちたことで
周りに違和感持たれてるのツラい、と
思いますけど
持たれても、無理からぬこと。
今まで暑苦しく語り散らしたことの
ツケが回ってきたんだから仕方ない。

故障も体調不良も
たまたま起こった訳じゃなくて、
理由のあること。
生活は大きく変わってないんだから
全部、練習内容とレース計画が原因です。

単発で練習を考えず
もっと計画的な練習をしようと思いました。

グダグダと同じようなことばかり
書いてしまい失礼しました。

以上のことから、
自分なりに考えた練習を年末年始から
やってみました。


それ以降の練習は次記事にて。


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