ばーちゃんの乳液

2020年7月19日日曜日

ビューティー よしなしごと


ばーちゃんのお見舞いに行くとき、
化粧は念入りにしていった。
厚く塗るという訳ではなくて、
認知症のばーちゃんにも、認識しやすいように
眉のラインと口紅の色をはっきりさせる、
ようにしていた。

わたしを孫娘と分かるときもあったし、
わからない時もあった。
途中で、看護師さんや他の患者さんの家族
など、役柄が変わっている場合もあるので、
ボンヤリできなかった。

でも、役柄がなんであれ、
わたしの顔を、しげしげ眺めては、
「アンタ、まいげ(眉)、
 キレイにしてはるなあー」と、
部屋にいる間、何回も言ってくれるので、
手は抜けなかった。
そしてそう言ったあとは、必ず、
「わたしの乳液、ドコやったん?」と
言い出し、母かわたしが、
「ここにあるよ。」と出して、
「ほうか。」とちょっと安心する、
というところまでがワンセットだった。
一度、気を利かせたつもりで、
「顔、塗ったげるわ」とつけようとしたら、
「それは、顔あろた後につけるもんや!」と
エラいこと怒られた。
ソレは覚えてはったんやな、と
感心したものだった。

ばーちゃんが嫁いだ時代、
田舎の嫁の地位は低かった、らしい。
戦後、世の中の色んなことが
ガラっと変わって、高度成長期、
ばーちゃんは働きに出た。
多分、生まれて初めての自分の収入。
化粧品、着物、洋服…
ささやかなものだったろうけれど
自分のために、自分のお金で購ったものは
どんなに誇らしかったろうか。

ばーちゃんは、お肌が、びっくりする程
キレイだった。もちろんシワはあるけど、
キメが細かくて色が白かった。
そのせいか、施設で、
「メイクでイキイキ健康に!」的な
イベントがあった時、モデルに選ばれて
フルメイクしてもらった。
「キレイやねー」「ホンマにキレイ」。
周りのひとたちが盛大にほめてくれる中、
はにかむ、ばーちゃんの、
なんと嬉しそうな、柔和な表情。
見たことないほどで、ちょっと泣けた。
「化粧は、ひとを力づける」
と最初に実感したのは、その時だった。

92歳でばーちゃんが亡くなって、
死出の着物を選ぶとき。
「コレ、悩んで悩んでこうてはったわ」
と母が言う、
ばーちゃんが買った、いちばんいい着物で
送ってあげることにした。
欲しくて欲しくて、自分の稼ぎで、
思い切って買った大島紬。
死出のメイクは、ピンク系でお願いした。
白髪、色白の肌に淡いピンクのメイク。
濃紺の大島紬をかけられた祖母を見て、
誰もが「キレイやね」と言ってくれた。

死ぬまで乳液を手放さなかった、
ばーちゃん。
化粧で心浮き立つひとだった、
ばーちゃん。
よかったね。
みんなめっちゃほめてくれてるよ。
ホンマにキレイやし。
よかったね。

化粧は面倒だ、と思うときも
もちろんある。
だけども、わたしもやっぱり、多分、
「化粧で心持ちが変わる」者みたいだ。
外に出て、ひとと話さないといけない。
そのことに足がすくむ日、そう思う。
化粧品が大好きなのは、わたしの中では
ツールを愛でるのと同義語だ。
作業として化粧をし、結果は客観視したい。
それだけなのに、その作業結果が、
自分の守り刀になって、
外に出ても大丈夫、と思わせてくれる
、時もあったりする。

うん、やっぱり。
「化粧は、ひとを力づける」のかな。
どうかね、ばーちゃん?

大島紬(イメージ)














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